図書・交流課
翻訳家へのインタビュー:ハグヴァスレン・サロールトゥグス
2020-07-17 16:48

モンゴル国ウランバートル市出身。第23番学校在学中、小学5年生の時に初来日、小学生・中学生時代に高知県の学校にてそれぞれ3か月間の留学体験をもつ。モンゴル文化教育大学在学中、千葉大学に国費留学を果たす。在モンゴル日本国大使館の勤務を経て、現在、Nextcom代表取締役社長。現在も日本とモンゴルの架け橋として活躍中。
翻訳:『人生がときめく片づけの魔法』(近藤麻理恵 著)、『Lessons from Madame Chic』(Jennifer L.Scott著)

   日本語との出会い                    
 ~サロールトゥグスさん(以下、サロールさん)の日本語との出会いについて教えてください~

日本語の勉強は、ウランバートル市にある第23番学校に入学してから始めました。23番学校は、1990年に“ロシア学校”から“外国語学校”に変わり、私がちょうど2年生となった1991年に日本語のクラスができたんです。私はその日本語のクラスに入りました。(必須科目ではなく)選択だったのですが、当時、私は子どもですから母が私を日本語のクラスに入れることを決めたのです。当時は英語がものすごく人気があって、23番学校も英語のクラスは2クラスも用意されていたのですが、それでも希望者が入れないほどでした。
英語ではなく、なぜ日本語を選択したのか、その理由を後から母に聞いたのですが、「アジアの中で発展した国の文化を学んでほしい。これからは(ロシアやアメリカではなく)アジアについていったほうがいいんじゃないか」という考えだったそうです。今、思えば、私は日本語を勉強して本当に良かったと思いますよ。英語は後々、そのうち何とかなるだろう(必要があれば勉強することになるのだろう)と思っていました。他の人よりも、より早く日本語や日本とのつながりを持った、この道を選んだというのがすごく良かったと思います。

23番学校には、JICAボランティアの日本語の先生がいらっしゃいました。また、のちに私が日本へ行くきっかけとなったプログラムを担当されていた日本人の先生もいらっしゃいました。
JICAボランティアだった村上吉文先生にはすごくたくさんのことを教わりました。JICAボランティアの先生のお宅に、よく遊びに行った記憶があります。友達みんなで「今から先生の家に遊びに行こう!」と言って、いきなり皆で先生のご自宅に行っちゃうんですよね(笑)。日本人の先生たちは大変だったんじゃないでしょうか(笑)。先生方からは叱られながらも、色々なことを教えていただいて、本当に楽しく過ごしていました。

   初来日からずっと・・・

私は2年生から10年生までの9年間、日本語を勉強しました。5年生までは、ひらがな・カタカナを学び、日本の歌を教えていただいたり、5年生では日本の映画を観たりしました。教科書は10年生まで『日本語初歩』を使って学んでいました。先生方は工夫して授業をしていただいたんだと思います。そして私にとっては何と言っても日本に行ったことによって、実際に日本を見たことによって、やる気や「どんどん勉強していきたい!」という頑張る気持ちになっていきました。
先ほどお話した、23番学校には私たち生徒を日本に派遣するプログラムを担当されていた日本人の先生がいらっしゃいましたが、私はそのプログラムに参加した一期生なんです。その時は2人だけが日本に行けたんです。今でもこのプログラムは続いているようですね。
1994年、小学5年生の時、クラスから友人と私の2人で日本へ行き、高知県の学校に3ヶ月間、留学しました。モンゴルから日本まで片道1週間かけて行きました。ウランバートルから列車で北京へ。北京から天津までバス。天津から船で日本の神戸まで行きました。私にとっては初めての海だったこともあり、2日間、3日間は船酔いとの闘いでした。初めての海、初めてのエスカレーター、初めてのピザ、、、とにかくたくさんの「初めて」を日本で経験しました。

私は日本に行ったことで日本語ができるようになっていますから、留学後、モンゴルに帰国すると、どうしてもクラス全体のレベルより、より上のレベルに達しているんですよね。そうすると楽しいので、どんどん日本や日本語が好きになって、どんどん勉強したくなっていきました。小学5年生の時に留学しましたが、頑張れば中学生になっても留学できるという話だったので、やはり「中学校にも留学したい!」と思うようになりました。1994年で小学校に、1997年か1998年だったかな。高知県の中学校に3ヶ月間留学しました。
留学した学校では私は寮で生活していました。その時に「日本人って、本当にものすごく勉強するんだな」ということを目の当たりにしました。「起きている時間は勉強をしていないといけない」というような環境だったんです。とにかく厳しかったです。マンガを読むこともできませんでした。そして勉強はすごく難しかったです。分からないことがありましたし、留学生ということもあり別途、宿題も出されました。その他の思い出と言えば、当時、モンゴルには制服がありませんでしたが、留学していた学校はすごくステキな、カッコいい制服だったんですよね。それにすごく憧れていました。

留学を終え、モンゴルに帰国して10年生を(高校を)卒業しました。卒業後は、やはり日本語を学べる大学に進学したいと思い、ウランバートルにあるモンゴル教育文化大学に進学しました。当時は、入学試験の結果しだいで、1年生からの入学ではなく2年生へ入学ができたんです(いわゆる飛び級)。そして3年生になれば国費留学の試験を受けられるということで、翌年、試験を受け、合格して千葉大学に留学しました。

 ~名門の23番学校を卒業され、モンゴル文化教育大学に入学し、国費留学も果たされた。日本、日本語にずっと関わり続けてこられた、そのモチベーションをキープできたのは何だったんでしょうか?~
とにかく日本が好きだったこと、子どもの頃に日本に行ったからでしょうか。当時は今ほど海外に行けるわけではありませんでしたからね。すごく日本に親しみを持っていました。日本で仕事をしていきたいという目標をもって、できれば日本の大学を卒業して、できれば日本で仕事をしたいと思っていました。
しかし、日本の大学に留学していた時に少し考えが変わりまして、「モンゴルに帰国して、モンゴルで活躍したい」と思うようになりました。大学を卒業してからは、例えば修士課程に進むなど、そういう進路も考えなくはなかったのですが、モンゴル人に対して日本のことを紹介したいと思うようになっていったんです。モンゴルと日本では社会構造も経済も全く違いますし、日本から学べることがあります。私は日本で学んだことを母国モンゴルで活かしたい、ということに気持ちが傾いていました。
国費留学を終えて、3ヶ月ほど日本センターでも働いていたんですよ。そんな時、母が新聞の広告に日本国大使館職員の求人情報が掲載されているのを見つけたんです。それに応募して、採用となり、大使館で10年間働きました。大学生の時、外交官になろうとも思っていたので、ある意味、夢が叶ったわけです。大使館では本当にたくさんのことを学びました。しかし、学んだことを今度は「“外”で活かしたい」と思い、大使館を退職しました。

私が日本へ行ったのは11歳の時ですので、その時以来、私は周りの人から特別視されていたと思うんです。「“日本”といえばサロールでしょう。“日本”といえばあなたの国でしょう」と家族からもそう言われていたほどです。当時、親戚の人などもみんな私の家に来て、私に「日本ってどんな国なの?」と尋ねられていました。尋ねられれば私は、「日本のことを知っていなければならない」と、役目・役割を感じていました。だから、どんどん日本のことを知りたい、どんどん皆に教えたいという気持ちが自然と生まれたのだと思います。
逆に日本に留学した時、高知県の学校では先生も生徒も、モンゴルのことを全然知らなかったんです。モンゴルの民族衣装のことを尋ねられたり、「馬で学校に通っているの?チョコレートを食べたことある?」と聞かれたりしました。当時は、今のようにモンゴル出身の力士もまだ出てきていない、そういう時代でしたからね。私はモンゴルと日本の両方に情報を伝える立場になっていました。どんどん自分の経験を生かしていきたいと思いました。
私は子供の頃、そして大学生になっても留学し、在モンゴル日本国大使館で働き、今は会社を経営して日本人とパートナー関係を築いて働いています。他のモンゴル人よりも比較的早く日本という国について知ることができたから、両国の友好関係が深められればと思っています。特に国費留学をしていますから、自分が“架け橋”にならなければ、、、という気持ちが心の中にあるんですよ。

  自分の経験を誰かに伝えること  

私の友人、また23番学校を卒業した友人にも、その後、日本と関わりのある生活をしている人は少ないんです。しかし私は、日本で学んできたことを日常の中でもシェアしていました。日本から学んだことを私自身が完璧に身につけてから広めるのではなく、私自身も学びながら他の頑張っている人に共有していく、みんなで一緒に高め合っていくことが大切なのではないかと思っています。それが翻訳の仕事にもつながっていったんです。日本語で読んだ本を皆に教えたいという気持ちがあるんですよね。
モンゴル人にとって、日本から学べることはたくさんあると私は思っています。モンゴル人にあるもので日本人にはないもの、日本人にあるものでモンゴル人にはないものというのがありますよね。両国の国民の交流がより活発になれば、両方がWin-winになると思うんです。日本人の「おもてなしの心」とか「時間を守る」とかいったことは、日本人にとっては常識かもしれませんが、モンゴルではまだ通じないところがあります。例えばそういうところから、お互いの「経験の交換」をしていきたいと思っています。
振り返ってみると、私は子どもの時に日本へ行き、大学にも留学したお陰で、私自身の役に立っている、助かっていることがありますので、モンゴルの若者にも、若い時にぜひ日本へ行ってきてほしい。私は技能実習生の送り出し機関も運営しています。今、モンゴルからたくさんの人が技能実習生として日本へ行っていますが、3年間、日本にいればたくさんのことが学べます。日本からモンゴルに帰国した人は、全然違いますよ。  

    『人生がときめく片づけの魔法』を翻訳

~それでは近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』を翻訳することになった、いきさつを教えて下さい~


この本は、世界中で翻訳されていて、英語版もベストセラーになりましたね。世界的にヒットして2年後ぐらいだったでしょうか。私は今の仕事の関係で、モンゴルと日本を行き来していますが、日本からモンゴルへの帰りの飛行機の中で、この本を読んだのがきっかけでした。「片づけ」に興味があったからではなく、世界中でベストセラーになっている本だということ、日本人の女性が執筆している、ということが気になったんです。それで読み始めたのですが、すごく良かったんです。何が良かったのかというと、直接(直球で)日本の文化、例えば茶道や華道といった深い日本の文化をモンゴルで伝えようとするとなかなか受け入れられない。それは、すごく日本のことを知ってからではないか、と。しかし、こういう形のものから(本から)入っていく ~自分の身の回りを片づける、会社を片づける、そして頭の中を整理する~ ということが良かったんです。私自身、読んだ直後にやる気が出てきました。モンゴルに帰国して、自宅に着き、スーツケースを片づける時から試してみたんです。そうしたら、やっぱり良かった。
ただ、私が私の言葉で説明するとなかなか伝わらないような内容だったので、本自体をモンゴル語に翻訳して世に出したいと思ったんです。モンゴル語訳されたものが出版されているのか調べてみると、まだモンゴル語訳はされていなかったので、ぜひ、私が翻訳をしたいと思ったのです。

   「翻訳したい!」という思いから、出版までの道のり ~同級生と先輩翻訳家~ 

私がラッキーだったのは、モンゴルの大手出版社「モンソダル」の社長であるゾリグさんが、23番学校時代の私のクラスメイトだったことです。今、彼はお父様と一緒にその会社を経営されています。本のことと言えばゾリグですからね、私は早速ゾリグに連絡をとりました。やはりゾリグは、この本が世界的なベストセラーになっていることを知っていました。彼には色々とアドバイスをしていただき、本当に力になってくれました。
私は日本大使館に勤務していましたので、日本語で公文書を作成する、、、といった経験はありましたが、翻訳者としての経験はありませんでした。ですからゾリグから「まず、この本の始めの20ページ程度をモンゴル語に翻訳したものを見せてくれ」と言われました。そこで、私が翻訳したものをゾリグにチェックしてもらうと、やはりかたいい文章だったんです。本に適した文章ではなかった。「もう少し柔らかく、モンゴル的な(モンゴル語的な)表現を」とアドバイスがあり、そのように訳し直して、「モンソダル」の編集者の方からOKが出た後に本格的な翻訳作業に入りました。

話は前後しますが、「モンソダル」から多くのモンゴル語の翻訳本を出版されているジャルガルサイハンさんという翻訳家がいらっしゃいますね。実は母と同じ仕事をしていた人ですが、私はジャルガルサイハンさんのことをずっと以前から「日本語のできる、すごいお姉さん」と思っていたんです。
とあるレセプションで私はジャルガルサイハンさんとお会いしました。翻訳本の出版について、私が最初に相談したのが彼女でした。「翻訳したい本があるんですが、まずどうしたらいいんでしょうか?」と尋ねたんです。そうしたら、ジャルガルサイハンさんが、「それはまず、出版社へのアプローチですよ」と教えてくれました。そして「少しでも翻訳ができたらチェックしてあげますよ。翻訳した原稿を私まで送って」と言ってくださったんです。結局、私は送ってはいないのですが(笑)、彼女と話しているうちに「私でも(翻訳が)できるんだ」と思えましたし、ジャルガルサイハンさんが私のことを信じてくださっている、できると思ってくださっていることが、もう十分に分かったので、どんどんやる気がわいてきたんです。

経験のある翻訳家ですと約200ページの書籍を翻訳するのに1ヶ月ほどで完成するようです。私はこの本の翻訳に3ヶ月という時間をかけました。何とか翻訳作業が終わって出版社に原稿を送り、出版社でもまた確認作業に1ヶ月間を要して、何とかこの本が世に出た、、、といった感じです。
この本は世界的な大ヒット作品ですが、モンゴルではそこまでヒットしないだろうと私は期待をしていなかったんです。ただ「手に取ってくれた人の役に立つなら、それでいい」と思っていました。しかし、やはり、この本自体がパワーを持っているものだからモンゴルでもヒットしたんです。このヒットに「モンソダル」も驚いていました。
この本はとてもよく売れているけれど、購入した人がこの本を読んだ後、この本から得たこと・学んだことを実際に自分の生活の中に取り入れている人が多いのではないかと思います。

私ははじめ、本の翻訳というものはものすごく難しいものだと考えていました。しかし、実際にやってみると、私でもやれるんだなと思いました。先ほどお話しましたが、最初の20ページを翻訳した後、本の翻訳というのは公文書などとニュアンスが違うということが分かりました。どういった感じで翻訳すればいいのかが分かりましたし、この本自体も内容的には難しいものでもなかったのでやり切ることができました。
しかし、この本でなければ、私は途中でやめていたかもしれません。また、あまり人々に読まれなければ、次に進もう(また何か翻訳しよう)という気にもならなかったと思います。やはりこの本だったからやり切れたのだと思います。この本で本当によかったです。

   『Lessons from Madame Chic』 を翻訳
近藤麻理恵さんにとって2冊目となる書籍も翻訳してはどうか?という話が、出版社からも、周りの人からもあったのですが、私としては1冊目の内容で十分ではないかと判断しています。「片づけ」という言葉をモンゴルに広めて認知されるようになって、読者それぞれが考えるようになれば、それぞれご自分で検索すれば読めるようになるでしょう?
この本の発行後、最初にセミナー講師の依頼をいただいたのはエルデネット工場でした。やはり民間企業は、この本の内容に関係する「カイゼン」とか「5S」といった内容に響きますよね。ぜひ、工場の中でセミナーを開いてほしいという依頼でした。
ただ、私は翻訳家です。近藤麻理恵さんではないですし(笑)、まるで自分が作ったセオリーのように話すというのは難しいですよね。そうしたら、先方が「この本を翻訳している中で経験したこと、ご自身が整理・整頓をしたことで経験したことを話してほしい」とおっしゃったんです。そういうことだったら私にもできると思って、それから色々なところで講演させていただくようになりました。

私は近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』の次に翻訳する本を探し、次に翻訳することを選んだ本は『Lessons from Madame Chic』です。これも日本語からモンゴル語に翻訳したんです。『人生がときめく片づけの魔法』では「自分の部屋、自分のものを片づける」、この『Lessons from Madame Chic』 は、その次のステップ「片づいた人は、どういう生き方をするか」ということが全て書かれてあると私は思っています。私が翻訳した本はまだ2冊ですので、この2冊はコンセプトが繋がっていますが、今後、翻訳する機会があれば分野にしばられず、私がいつも思って実践してきたこと「人の役に立つ」ような内容であれば翻訳したいと思っています。

私自身は、『人生がときめく片づけの魔法』と共に世に出たと思います。この本のマジックで。日本大使館を退職してすぐのことでしたが、大使館勤めの時は人前に出る、話す、、、という仕事ではなかったですからね。
私もそうだったのですが、「いい生き方に向かって進みたい」とみんな思っていると思うんです。特に若い人に多いと思います。例えば、食事でも何かを変えたい、いい方向に変わりたい、だけど分からない、、、。その「いい生き方に向かって行きたい(生きたい)」ことの1つの例として「片づけ」という切り口で見てみる。「“片づけ”とは、こういうことですよ、こういう感じですよ。」と、「いい生き方」への入り口を示す、それが伝わったらいいのではないかと思いました。

   翻訳を経験して

日本語で本を読むと、日本語とモンゴル語のニュアンスが違うというのが分かったんです。『人生がときめく片づけの魔法』は、日本語からモンゴル語に訳する時、ある特徴があることに気づきました。近藤麻理恵さんは自分のやったことを誇張して言わない、また、はっきり表現しない部分がありました。しかし、それをそのままモンゴル語に直訳すると、モンゴル人にとっては、もしかしたら「この人(著者)は、(「こうすることがいいことなんですよ」、と)本当に分かっているのかな?分かっていないのではないか?」という印象を受ける表現なんです。翻訳したものは、モンゴル人が読むような、「モンゴルの本」にならなければいけない。場面が外国であっても、登場人物が外国人であっても、文章表現はモンゴル人の作家が書いたのかな?という印象が残るのが大切なポイントかと思います。通訳は、誰かが言ったことを相手に伝えて、それが相手に伝わり、理解すればいいのですが、翻訳家はそれではダメです。作家がどういう気持ちで書いているのか、作家本人がどの立場から見て書いているのか。書いている人の立場から見る必要があります。原作者は伝えたいことがあるから、本を書いたわけですからね。

『人生がときめく片づけの魔法』も直訳はしていません。ただ単に、直訳・安全な訳をしてしまうと、私はモンゴル人ですからモンゴル人の立場から読むと、やはり(直訳することに)心が従えない部分が多かったんです。私は近藤麻理恵さんのことを調べてみると、彼女は本当に凄い人だということが分かりましたし、ご本人の「世界中を片づけていきたい!」という気持ちが伝わってきました。だからこそ下手なモンゴル語や間違ったモンゴル語、中途半端なモンゴル語訳にしてしまって、この本がモンゴルで広まった時に、読者であるモンゴル人が「あぁ、何かよく分からないけど、日本人が“片づけたほうがいいよ”などと言ってるな」と、軽く扱われ、認められないような内容になってしまったら、モンゴル語に訳さなかった方が良かったという結果になりますよね。この本を読んだモンゴル人が、「いいものを読んだな」と思えること、残ること。「本」というものは、世に出た後、読者の読んだ後の感想が一番大事だと思っています。

   時代の大きな“うねり”を経験して
私たちの親世代が生きてきたのは完全なる社会主義でしたので、教えられてきたことが私たちの世代とは全然違うわけですよね。モンゴル人ですがモンゴルのことさえ知らなかった。チンギスハーンという名前は知っているけれど、どういった歴史だったのかは知らない。だから私たちに教えることができないんですよ。宗教も全て。そんな中、私の母は私に日本語を勉強することを勧めてくれた。それだけで十分です。

私たちが幼い頃はまだ社会主義の時代で、そして1990年代以降もその名残もあって、あまり色々な選択肢がなかった時代でした。今、私たちの世代は親になり、自分の子どもにたくさんのことを教えたいという世代なんです。1980年世代は(物心がついた頃に民主主義、市場経済に移行しましたので)、自分たちで学んできて、自分たちで頑張ってきたというような世代です。みんな同じものを食べて、同じ服を着て、同じ教育を受けて、というふうに同じラインからスタートしています。そして成長する過程で、それぞれが自分の道を選択し、歩んで行った。私だったら日本を選んで、他の人は別のモノを選んで。そしてお互いが学んできたものを伝え合って、共有してきました。こうやって自分たちで学んだことを「交換」して、今のモンゴルという国が出来上がろうとしています。私たちは新しいモンゴルを作る世代だと思います。そして私たちの子ども達は、もっとその役割が大きくなっていくと思いますよ。

日本人にとっては常識である「時間を守る」、「約束を守る」というのは、決して日本だけではないんですよね。モンゴル人は、それを日本や他の海外から学んでほしいのです。
モンゴルは元々遊牧民の国ですから、自分たちはいろんな国に行っても生活できる、という考えを持っているんですよね。それはいい事なんですが、その分、マイペースな部分があるんです。モンゴルの地方から、たくさんの人が首都ウランバートルに移住してきている。モンゴルから海外へ行く人もたくさんいる。これからは、現代社会の生き方や自分が社会の中、人々の中に入って、身の振り方やどのように生きていくのかを考えていかなければならないと思っています。
あとモンゴル人の特徴の1つとしてあるのが、物事をすぐに止めてしまうということです。すぐに止めてしまわないで最後までやってみる。試してみて結果を見る。根気強く「やってみる」という精神力が付けられればいいと思います。
日本人と一緒に仕事をすると学ぶことがたくさんあるので、日本人から学べることを学べば、モンゴル人に元々ある能力がどんどんすごい力となって発揮できると思います。

私は起業し、会社を経営していますが、夫も私に影響を与えている1人です。彼は子どもの頃から馬頭琴を弾いていて、文化交流事業の一環で、ステージに出演するために日本に行っていたそうです。子どもの時から日本に行っていて自分で日本語を勉強して、会社を設立し、日本と関わりのある事業も展開していました。私が本当にラッキーなのは、ビジネスのパートナーである日本人とどう接すればいいのかを彼から教わったことです。

   日本語の学習者、翻訳家を目指している人に向けてのメッセージ

~それでは最後に、サロールさんから日本語を勉強している人、翻訳家を目指している人に向けてメッセージをお願いいたします~
今、モンゴルで日本語を勉強している人は少なくなってきていると言われていますが、それは日本企業がモンゴルに参入、進出していないからだと思います。子どもたちや学生が、日本語を勉強してもそれが生かせられる仕事が見つからないというのが理由ではないかと考えます。
しかし、日本語を勉強したからといって、必ずしも日本に関わりを持った仕事をしなくてもいいのではないでしょうか。これからの時代を生きる人たちは、海外のことを知って、言葉を知って、自分を高めるために身につけたものを生かしていけば、豊かな生き方になると思います。日本語を勉強することによって、また日本語で書かれた本・原作から色々な情報によって学ぶことができますからね。

先ほども申し上げましたように、「本」は、読者が読んだ後に、「著者は何を伝えたかったんだろう?」と考えられるのがポイントですね。だから著者の意図や伝えたかったことを伝えるためには、翻訳は完璧なモンゴル語じゃなければいけない。特にモンゴル人には「信じてくれない怖さ」があるんですよ。『人生がときめく片づけの魔法』をモンゴル語訳している時のお話をしましたが、翻訳している言葉が完璧なモンゴル語じゃなければ、モンゴル人には認められないんです。原作が日本語であろうと英語であろうとその言語をよく分かっていること、それはそれでいいんですが、モンゴル語がきちんとできないと、その翻訳は90%はできていないということになるんですよ。
モンゴル語の小説には、とてもいいモンゴル語が使われていますので、私は近藤麻理恵さんの本をモンゴル語に翻訳する時には、モンゴル語の小説をよく読んでいました。原作を読む時には、日本人の立場に立って読み、モンゴル語に翻訳する時にはモンゴル人の立場に立って翻訳をする必要がありました。日本語の原作を読んでいるとどうしても日本人寄りになってしまいますので、モンゴル語の小説を読んで、「いいモンゴル語に翻訳したい!」という気持ちにもっていき、モンゴル語の翻訳をしていました。

作者の言いたかったことが伝えられない限りは、翻訳したとは言えないのではないでしょうか。努力を重ねていけば、結果は後からついてくる。いい作品ができるのではないかなと思いますよ。

2020年6月8日
(インタビュアー;藤野紀子/モンゴル日本センターJF講座調整員)