図書・交流課
翻訳家へのインタビュー:ツルバートル・オノン
2020-07-24 11:20

モンゴル国ウランバートル市出身。モンゴル国立大学在学中に日本留学を経験、卒業後はプロジェクト事務所の業務を経て、同大学修士課程修了後、同大学の教員となる。2010年から2011年まで独立行政法人国際交流基金「日本語教育指導者養成プログラム(修士課程)」により政策研究大学院大学に進み、修士課程修了。帰国後は復職し、2013年、モンゴル国立大学博士課程修了(言語学博士)。現在もモンゴル国立大学にて研究と教育に携わっている。
翻訳:『にごりえ』(樋口一葉著)、『杜子春』、『鼻』、『芋粥』(芥川龍之介著)、『級長の探偵』(川端康成著)、『海辺のカフカ』(村上春樹著)、『個人的な体験』(大江健三郎著)ほか多数

日本語との出会い
~オノン先生の日本語との出会いについて教えてください。~

私と日本語との出会いは、モンゴル国立大学に入学してからです。当時は英語か日本語のどちらかを選択できたのですが、元々、満洲語を勉強したかったこともあり、日本語を選択しました。大学ではモンゴル語と日本語を勉強するコースだったのですが、大学2年生になってから、ひらがな、カタカナを勉強し始めました。当時は今のように十分な教科書や教材はありませんでした。
日本語を勉強し始めて1年後、日本に留学するチャンスを得ることができ、東京外国語大学(以下、東京外大)のISEPプログラム(日本語・日本文化研究プログラム)の学生として1年間、留学しました。

留学生活 ~初来日の時の感覚~
日本への留学が決まってから出発するまでも、日本語の勉強を頑張りました。出発前1ヶ月は、特に頑張りましたよ(笑)。当時はモンゴルから日本への直行便はなく、北京経由でした。北京から成田までの機内で、隣に座ったご年配の男性と話しながら時間を過ごしたのですが、その方から「あなたの日本語は、まだ、たどたどしい日本語ですね」と言われたことを覚えています。
そして東京・成田空港に到着し、入国審査を終えて、外のロビーフロアに出た時、本当に右も左も分からない状態でした。日本語が目に入ってこない、耳にも入ってこない。緊張していたのでしょうね。ですから私は今でも、初めて行く国では、空港に到着した直後、いまだにこの時と同じような緊張感を感じるんですよ。この感じ方・感触は、「初めて日本に到着した時の感覚と同じだな・・・」と思います。

日本に到着し、日本での生活をスタートさせましたが、最初は日本語が聞き取れませんでした。モンゴルにいた時に、自分で勉強できることは精一杯しましたが、日本語で話したり聞いたりした経験が少なかったので、耳が慣れていなかったんですね。そこで私は、私についてくださっていた東京外大のチューターの学生さんに「テレビを買いたいです」と伝えて、テレビを購入しました。テレビを購入した後は、テレビを観ながらとにかくヒアリング能力を鍛え、授業には何とか間に合いました。このような感じで留学生活が始まりました。10月5日に来日、大学での授業が始まったのは10月20日でした。

東京外大では「日本語教育センター」に所属して学びました。このセンターには、たくさんの国から来日・留学した国費留学生や短期交換留学生がいました。今でこそ、モンゴルからの留学生は多いですが、当時、寮にいたモンゴル人は私1人だけでした。留学生仲間と一緒にフィールドトリップなどにも参加しましたが、日本人の学生とだけでなく、様々な国の留学生と一緒に過ごした時間はとても貴重で、この経験で多角的にモノを見る素養、モノを見る視点が養われたように思います。
そういえば、ちょうど留学中に二十歳を迎えたのですが、当時住んでいた荒川区の区役所から成人式のご案内もいただきましたよ。びっくりしました。日本では二十歳になると成人として扱われますが、私にとっても正に大人になった年・齢だったと思います。モンゴルを離れ、奨学金で生活し、自分で物事を決めて行動する毎日。この留学生活・留学生時代に、精神的にも大人への階段を上り、自立・自律した人間への入り口だったように思います。

話は変わりますが、90年代の終わりごろ、日本の公共放送の教育テレビのチャンネルだったかな?日本の文学を紹介する番組があったんですよ。その番組は私のお気に入りの番組でよく観ていました。日本文学や作家の特徴を紹介した、おもしろい番組でした。私を翻訳の道へと導いた番組だったと思います。
そして、私は文楽も好きで、日本に行く機会がある時は、国立劇場で観賞しています。三味線の音、人間にはできない人形の細やかな動きが素晴らしい、美しいですね。外国人・子ども向けのイヤホン(解説)を借りて、聞きながら鑑賞するので内容の理解が深まります。

大学卒業後 ~“赤ペン先生”に鍛えられて~
留学を終え、大学を卒業した後は、とあるプロジェクト事務所で働きました。日本語を勉強し、日本にも留学したことのある人材として、モンゴル語-日本語の翻訳業務を任されました。
モンゴルの冬は、マイナス30度以下にもなる極寒のため、冬には工事はしません。日本人の技術者の皆さんは日本に帰国され、私たちスタッフは、お一人モンゴルに残った日本人の方と仕事をしていました。私は毎朝、出勤途中に新聞を買ってくることから仕事が始まり、新聞記事を翻訳し、また、その日本人の方から依頼された部分の記事を日本語に翻訳していました。そうしたら、その方が「あなたが訳した日本語は分からない」とおっしゃったんです。また、「私が直したのに、あなたはまた、同じような間違いをしているよ」と叱られたりもしましたよ。そして、私が日本語訳したものを赤ペンで修正してくださるのですが、最初は修正だらけ、真っ赤で返ってきました。当時、それぐらい日本語訳ができなかったんですよね。私は大学を卒業したてで若かったですから(笑)、「せっかく一生懸命、辞書で調べて訳したのに・・・。」と(心の中で)思っていました。しかし、少しずつ少しずつ赤ペンで直されることが減っていきました。「あぁ、すぐにモンゴル語-日本語に翻訳すのではなく、訳する前に何回も何回も読まなければならないものなんだな」というふうに、この翻訳作業を続けていく中で私自身も学んでいきました。「私が訳した日本語を根気強く直してくださって、本当にありがたかったな」と、今だから思えます。学校の先生であれば、生徒や学生が書いたものをしっかり確認して、間違いがあれば正しますよね。教師ですから当たり前です。しかし教師ではない人が、あんなにきちんと、真剣に直してくれたことに、心から感謝しています。

大学院進学、そして大学教員に ~研究者として、教師として~
私はそのプロジェクト事務所で約1年間働いた後、退職し、大学院に進学しました。歴史言語学がテーマでした。モンゴル国立大学は研究者を育てる大学、教育機関、研究機関、、、という主旨の大学ですが、私も元々研究者になりたかったんです。やはりかねてより関心のあった「満州語」の研究、「蒙古源流」に取り組みました。「Хаадын үндэсний Эрдэнийн товч」という、有名なモンゴルの歴史の本があります。実は私が、東京外大に留学していた時に、この本の満州語訳・日本語訳されていたものを見つけたのです。修士課程での研究は、この「蒙古源流」の日本語訳と満洲語訳を比較した研究だったんです。この研究はずっと取り組みたかったことなので、すごく楽しかったです。

修士課程を修了して、教員になりました。最初は日本語の初中級レベルの科目を担当しました。大学3年生、4年生になりますと学生は専門の学問に進んでいき、教師もそれぞれの専門分野、例えば日本事情、言語学、日本史、、、などを教えます。
教員となって間もない頃の私の教え方は、私自身が大学生の時に受けた教育をベースにしていました。また、教材については国際交流基金をはじめとして、日本から寄贈されたものなどが入ってきていましたので問題なかったです。
大学の教員は、研究者であり教師でもあります。研究もおもしろいですが、教えることもすごく楽しかったです。

~オノン先生は大学の同僚の先生方と一緒に教科書も作られていますね~
はい。最新の教科書は、今年(2020年)1月に出版されました。教科書は、同僚の先生方とチームを組んで、授業で使うために作成しています。作成期間は1年~1年半ぐらいでしょうか。この最新の教科書をオンラインの授業(新型コロナウイルスの影響により、対面の授業ではなく)でも使いました。
以前は、『みんなの日本語』を使って授業をしていました。『みんなの日本語』は、世界中で使われている素晴らしい教科書です。ただ、この『みんなの日本語』は、日本語を集中的に習う人のための教科書だと思います。私たちの目の前の学習者、つまり大学1年生で日本語を選択科目として勉強する学生には、まず「日本語とはどういうものなのか」といったような、日本語について知る必要がありますし、言葉の裏にある文化を知る・学ぶ必要があります。そのため、身近な材料・題材を教科書に盛り込みました。また、教員一人ひとりがこれまで蓄積してきた教材、知識や知見、経験を持ち寄って作り上げました。モンゴルで日本語を勉強する人には合っている教科書になったのではないかと思っています。

~そして、大学教員となられてから2度目の留学も果たされましたね~
はい。国際交流基金の「日本語教育指導者養成プログラム(修士課程)」に申請し合格、政策研究大学院大学修士課程に進みました。このプログラムは1年間で修士号を取得するプログラムです。
留学して修士課程に進もうと思ったのは、教授法を学びたかったからです。日本語・日本文化をどう教えるのか。きちんと教授法を知り、身につける必要がありましたし、日本語教育についての勉強・研究が大事だと思ったのです。このような理由で留学・修士課程に進学し、日本語教育学修士号を取得してモンゴルに帰国しました。そこでの研究の続きを後に早稲田大学でも研究員として進め、日本語教師を目指している修士・博士課程の日本人の学生からたくさんのことを学びました。

翻訳活動の面白さと難しさ ~本好きの“文学少女”から翻訳家に~  
~オノン先生は、子どもの頃から本がお好きだったんですね~

私たちが幼い頃は、テレビを観る時間が限られていましたし、インターネットもなかった時代です。よく友達同士で本を交換して読んだりしていたんですよ。私と同年代の人たちは、本が好きだと思いますよ。
子どもの頃に住んでいた自宅の近くには、ゴーリキー名誉図書館という子ども向けの図書館がありました。本が好きで、私はよくその図書館に行っていたのですが、ロシアとイギリスの古典文学は、高校生の時にほぼ読み終えました。私はチャールズ・ディケンズの作品が好きなんですよ。ディケンズの作品は登場人物がおもしろいんです。今でもよく読みます。

東京外大に留学していた時は、よく日本の小説を読んでいました。もちろん最初は易しいものから読み始めました。「児童文学集」は日本語が易しいですし、分かりやすいし面白いですね。
川端康成の『級長の探偵』は感動しました。『級長の探偵』は、失明しても希望を失わず、たくましく生きようとする少年の話ですが、本当に感動しました。この作品が、「ぜひ、モンゴル語訳してみたい」と思った最初の作品です。内容の他にも、川端らしい構成、叙述、文章も美しく、内容も読者の誰もが考えさせられるような魅力的な内容だったのでモンゴル語に翻訳してみたいと思ったんです。
モンゴルに帰国してからも、よく読んでいます。芥川龍之介の初期の作品も好きです。『鼻』、『芋粥』、『杜子春』など、この頃に書かれた芥川の作品が好きです。

~それでは、オノン先生が翻訳したものが、世の中に出た頃のことを教えてください~
修士課程在籍中に『杜子春』だったかな?モンゴル語に翻訳したものを、日本語や日本文化、日本事情に詳しく、経験豊富なトゥムルバートルさんにお見せしたんです。そうしたら、「とてもいいじゃないですか」とおっしゃってくださったんです。当時、「ニッポン・ニュース」という新聞がありましたが、トゥムルバートルさんは、その編集者でした。私が翻訳したものが「ニッポン・ニュース」に掲載されたのですが、大学の先生や私の周りの人たちから「読みましたよ!」「あなたが訳したのですか?よかったですよ」と反響が大きかったんです。すごく励みになりました。
そして2005年頃だったでしょうか。トゥムルバートルさんに「樋口一葉の作品を翻訳してみたらどうか?」とお声がけいただいたんです。そして、樋口一葉の『にごりえ』、『たけくらべ』を翻訳しました。私がモンゴル語に翻訳にした後は、トゥムルバートルさんにモンゴル語をチェックしていただいていました。翻訳家として駆け出しの頃、樋口一葉と芥川龍之介、そして川端康成の作品のモンゴル語翻訳の際には、トゥムルバートルさんに本当にお世話になったんです。トゥムルバートルさんは、新聞への掲載、書籍の出版へと私を導いてくださいました。

当時から、翻訳活動は私自身の日本語の勉強になっています。私は大学では日本語を教えていましたが、それだけでは自分自身の日本語のスキルアップには足りません。翻訳という仕事を通して、語学力のアップ、日本語能力の向上に努めました。

~女流作家・樋口一葉の作品~
樋口一葉の作品の翻訳は、難しかったですよ。ひらがながつらつらと書かれているものですから(笑)。しかし、樋口一葉の作品は解読が難しいのですが、難しいからこそ面白いんですよね。「この困難を乗り越えれば、その先には、ものすごく面白いものが待っている」という感じです。樋口一葉、さすが五千円札の肖像になるだけの人だなと思います。
樋口一葉の『この子』などは、文学性という面では低いかもしれませんが、今のモンゴルの女性たちに読んでほしいと思う作品です。この作品は、「わがままに育った主人公が、自分の赤ちゃん(子ども)の笑顔を見ると心が和み、自分の至らなさに気づいていく」というお話です。短い小説ですけど、今のモンゴルの若い女の子にも読んでほしい作品です。

~村上春樹のベストセラー『海辺のカフカ』を翻訳~
村上春樹さんの『海辺のカフカ』は、モンゴルの大手出版会社「モンソダル」から「翻訳してみませんか?」と声をかけていただきました。他の作品だったら翻訳するかどうか考えたと思いますが、『海辺のカフカ』だったので翻訳しました。この作品は、私自身も面白いと思って読んでいた作品だったからです。
村上春樹の作品は、日本語の表現自体は難しくないのですが、他の意味で、色々と勉強になる作品だと思います。彼の作品は、単に言葉や文章をモンゴル語に翻訳すればいいというわけではなく、本の中に出てくるものについて、例えば生活様式や音楽等々、色々と調べる必要があるんです。調べていると、時々、翻訳作業のことを忘れてそちらの方向にいってしまうのですが(笑)、翻訳作業を通じて様々なことを知っていけるので勉強になりますし、おもしろいです。

私は、作家を選んで翻訳しているのではなく、今は自分が翻訳したい本、自分自身が面白い!と思う本を翻訳しています。
モンゴル語訳にしづらい日本語は確かにあります。そういった時は、日本人の先生や知り合いの日本人に聞いたり、辞書を引いたりして調べます。もちろん辞書を引いても、適したモンゴル語が見つからない、しっくりこない時もありますので、そういう時は他の人が(その日本語や日本語の表現を)どのようにモンゴル語に翻訳しているのかを参考にしています。村上春樹や大江健三郎といった著名な作家の本は英語等、他の言語に翻訳されていますので、英語版のものを参考にしたり調べたりもしています。
この他に難しいと思うのは、日本語は主語が省略されていることが多いですよね。「誰が、誰に対して言っていることなのか分からない」そういうことがあります。また、擬音語・擬態語、慣用句がありますが、モンゴル語にどう訳せばいいのか、適切で、ぴったりくる訳語がない時があり、文章で伝えるしかない場合があるんです。

翻訳活動の思い、読者の皆さんに向けてのメッセージ
~それでは最後に、オノン先生の翻訳活動に対する思い、また読者の皆さんや翻訳家を目指している皆さんに対してメッセージをお願いいたします~

今後は、日本の若い女性作家、例えば青山七恵さんや三浦しをんさんの作品などを翻訳してみたいです。今、日本人がよく読んでいる女性作家の作品を翻訳したいですね。

先ほどもお話しましたが、翻訳活動は自分の語彙力を生かしたり、伸ばしたりすることができる作業です。そして翻訳は自分の能力が発揮されていることを実感できる仕事です。それを味わうことができるので、「おもしろい!」「頑張ろう!」と思えます。自分の好きな言語の世界の中に入り、言葉を探りながら、違う新しい世界に触れるということは楽しいですよね。好きな言語で調べる、それを通して色々なことが学べる、、、これは楽しいことですよ。
そして翻訳家としては、やはり自分の国の言語、母国語をきちんと理解していないといけません。私の場合ですと、モンゴル語と日本語。まずこの2つの言語の特徴や相違点をよく理解しておかないとダメだと思っています。

日本の文学は、作品が独特な世界観であっても認められれば高い評価を受けているし、広く読まれています。それが日本文学の特徴の一つではないでしょうか。
文学の裏・背景には、宗教、習慣、人の考え方、衣・食・住、全ての文化が入っています。言葉・言語そのものだけではなく、その国のことをもっと知りたいと思う人は、その国の文学作品をたくさん読んでみてください。
「みんなが読んでいるから」と(流行りやファッションとして)本を読むのではなく、例えば、先ほどお話しました「児童文学集」や「選集」などを読んでみてください。リスト(題目)を見て、自分で選んで読んでみるといいと思いますよ。

オノン先生 お勧めの本

モンゴルの有名な作家バトバヤル(Д.Батбаяр)さんの “Бүтээхүйн зүй тогтол” という本を若い人に紹介します。文芸・文学をどう理解し、どう読むかについて丁寧に書いており、読者の皆さんの創造力を引き起こし、いろいろ考えさせられる本だと思います。

2020年6月22日
(インタビュアー;藤野紀子/モンゴル日本センターJF講座調整員)